初めて、さおりです!
私は、オーダースーツブランド社長の勝友美さんに出会ったことがきっかけで、
勝友美さんが運営するオンラインサロンに入会し、「Webマーケティング」の世界を知りました。
それまでは、私は医療業界にいたため「Web」や「マーケティング」なんて言葉には縁もゆかりも全くありませんでした。
そんな私が、ゼロからWebマーケティングを学び、
年収が上がらず仕事へのモチベーションがない!という現状を変えたい!
と思うようになり、
私は、会社員を辞め、Webマーケティングを学びフリーランスとなり
1年後に月収40万円、2年後に月収100万円を達成することを目標に設定しました。
では、なぜ私がWebマーケティングを学ぶことになった具体的なきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。
本ブログサイトのコンセプトについてはこちらの記事に詳しく書いています!
基本情報
名前:さおり
性別:女
生年月日:1991年5月27日
出身:山口県柳井市
職業:会社員(外資系コンサル会社勤務)
趣味:美容、セルフネイル、フラダンス、筋トレ
好きな食べ物:パスタ、中華料理
好きな色:オレンジ
好きな漫画:ハンター×ハンター
幼少期~高校生:親のレールに沿った道を行く学生時代
私は両親ともに自営業をしている家庭に生まれ、男兄弟に挟まれ男勝りな性格に育ちました。
幼少期から色々な習い事に通わせてもらいながら、勉強よりも遊ぶことが大好きな子供でした。
高校は、私が物心ついた時にはすでに両親が通った進学校を目指すように親から言われ、自分もその進学校に憧れ志望。
中学校まで勉強をまともにせず、遊んでばかりだったこともあり、担任から合格は厳しいと言われてしまいましたが必死に勉強をし無事に合格。
高校生活では部活動に励みながらも、周りが勉強をしているため、自分も置いて行かれないように勉強をする日々でした。
そんな私には将来の夢は特にありませんでした。
親からは、
自営業は不安定で大変だから駄目だ。
会社に勤めることが一番良い。
と言われ続けていた為、将来は漠然と会社員をしているんだろうなと思っていました。
思い返すと、私が小学生、中学生の時の両親は朝から夜遅くまで働き、家庭内はかなりピリピリしていたのを思い出します。
当時、借金返済で生活が苦しかったそうです。
そんなこと当時の私は知りませんでしたが、子供ながらそんな空気がとても嫌いでした。
会社に勤めて安定が一番いい。
そう思っていました。
高校3年の時に、進路を決めなければならなくなり、
子供が好きなのと、3歳~高校卒業まで継続していたピアノが特技となっていたため、保育士を目指していました。
ところが、高校3年のある日、祖父に看護師を勧められ、保育所で働く看護師も存在しているということを知りました。
私は、保育士より看護師の方が稼ぎが良いことを知り、看護師の道を目指し、関西の看護科のある大学へ進学しました。
大学生:田舎から都会へ、看護師を目指して猛勉強の日々
田舎から都会へ出て、便利な生活とキラキラした街に感動し、憧れの関西弁に、ボケやツッコミ、すべてが新鮮でした。
しかし大学の授業では1単位でも落とせない必修ばかりの授業とテストの勉強生活でした。
同じ志を持った友人と切磋琢磨してなんとかテストは突破。
しかし、看護師への道のりは簡単ではありませんでした。
大学3年はほとんどが実習期間で、稼ぎがいいからと看護師の道を選んだ時には想像もしなかった地獄の実習が1年始まりました。
病院での実習では、メンバー間の協力が必要。
ランダムに選ばれたメンバー編成は失敗。
実習では張り詰めた空気、怖かった看護師さん…。
実習から帰宅後には、実習の記録と次の日の勉強で睡眠時間はほとんどありません。
休日は休日ではありませんでした。
約半年間、平均2-3時間で、1度体調を崩し精神崩壊寸前でした。
しかし、どうにか友人と一緒に大学を卒業したいという気力でなんとか無事に実習を終えることができました!
ホッとしたのも束の間で、大学4年では、卒論、国家試験の勉強。
看護師国家試験、保健師国家試験の2つを受験し、
ギリギリで看護師国家試験には合格っ!
保健師国家試験には不合格(社会人1年目で合格しました)でしたが、晴れて総合病院勤務の看護師となることができました。
新卒看護師~25歳:厳しい社会の洗礼を受ける
人間とは不思議なもので、1番最悪だった実習先の病院に自ら面接に行き就職。
近隣病院の中で新卒1年目から断トツに年収がよかったからです。
友人も多く就職し、配属先では同じ大学のメンバー3人と一緒になり友人とは同僚として協力体制はばっちりでした。
しかし、看護師の世界は厳しかったです。
医療現場では命を預かっているということもあり、勉強の日々に、厳しい人間関係。
社会というものはこんなに厳しいのだと洗礼を受けました。
そして、夜勤をするたびに生活リズムは崩れ、気持ちが落ち込み、
仕事に行きたくないと毎日思い始めました。
夜勤専従として働いていた時期もあり、夜勤手当がつくためお給料はかなり上がりました。
しかし、財布は潤ったものの、肌はボロボロになり、
顔はニキビだらけで自己肯定感が下がり、
仕事でも自分のミスが目立つようになり、精神的にもう無理かも…と思っていました。
当時の自分は、看護師として安定した高収入を得ることはできていましたが、身も心もすり減ってしまうような稼ぎ方をしていることに気付きました。
そんな中で自分の海外に住みたいという学生時代の夢を思い出し、このタイミングに仕事を辞めることを決め、海外への生活に向けて準備を始めました。
26歳:カナダへワーキングホリデー!学びの毎日
準備を始めて半年後にカナダのバンクーバーへ!
スピーキングに特化した語学学校を選び、
世界中から来た友達とよくコミュニケーションを取り、一生懸命英語の勉強をしました。
時にはホームシックになったりして、
英語を話せるようになりたくてカナダに来たのに日本語を話したくなることは多々ありました。
日本人の友達とも仲良くなり、
同じ境遇の友人とお互いに励まし合ってアルバイトをしながら生活をしました。
帰国前には、自分の好きな分野であったインテリアデザインを学びたいと思い、
デザイン専門学校に3カ月のカリキュラムで通うことになりました。
建築やインテリアの知識はゼロ。
私の英語力は専門学校で自分の意見や学びの発表をうまくできるほどではありませんでした。
毎週出される課題は専門的なものもあり、時間がかかるもが多くかなり苦戦することになりました。
しかし、異国に来て学ぶことができている環境で、
自分で始めたことは途中でやめたくなかったため授業には必死にくらいつきました。
グループ活動では英語が拙いことによって足手まといになりたくなく、
一生懸命に授業を聞き、緊張をしましたがネイティブの生徒とコミュニケーションをたくさんとるように、とにかく全てにおいて頑張りました!
個人の課題では自分の感性を表現することに焦点を当て、
慣れない作業も友達に助けてもらいながらも一生懸命に取り組みました。
その結果、全4科目、評価はすべてAランク以上。
一番寝れずに苦戦した科目では、上位でSランクを取ることができました。
私のこの帰国直前の経験が、ワーキングホリデーでカナダに行った経験の中で、
一番の自分の自信に繋がることになりました。
無理かもしれないと思うような壁も、諦めずに取り組んでいたらいつか結果は出る。
私はこのカナダの経験を自分の宝とし、帰国。
カナダに行ってからは、自分の中の価値観はいくつか変化があり、
- 今の自分に自信を持つこと
- 自分が思っている以上に他人は自分に注目していない
私はカナダに行くまでは人の目を気にする日本人特有の性格をしてましたが、
帰国後では以前の自分はいません。
27歳:貯金はゼロ、再スタート後の理想の自分への葛藤
帰国してからは、貯金もなく実家でニートでした。
就活では、再び関西に出ることに決め、看護師ということと、英語のスキルを活かせる仕事を紹介していただき、
外資系コンサル会社の製薬業務に有期契約社員として就職。
未経験業界でしたが、新しいことに挑戦したいという気持ちで入社しました。
カナダ留学での自分の経験が後押しをしてくれたように思います。
しかし、貯金もなく新生活は甘くありませんでした。
周りはバリバリに働いている看護師の友人、お給料もよく、貯金もある。
当時は友達の誕生日プレゼントを買うのがとても辛かったです。
入社して半年経ったときに、契約更新と共にお給料が少し上がり、徐々に
仕事で良い評価をいただくことも増え、雇用形態も上がり仕事へのモチベーションも上がっていきました!
2020年のコロナ禍に伴って、一時完全在宅ワークとなった中、山口の実家で勤務。
私は昇進をし、プロジェクト内の自分の業務のリーダーを任させるようになりました。
後輩は自分よりも半年から2年以上も空いているメンバーなど様々。
自分が先頭に立ち、メンバーができないことは自分がカバーして、後輩から見て頼りになるリーダーになれるように他のメンバーよりもたくさん働こう!
そう思いながら今までがむしゃらに仕事をしてきました。
その状況を上司は理解し高い評価をしていただいていましたが、
実際にお給料は他のメンバーより年収が5万程度高いだけ。
昇給するにはまた昇進をしなければ給料は上がらない。
しかし、明らかに他のメンバーとの業務量が違う。
量だけではなく会議での積極的な発言は自分のみ。
他のメンバーは何をしているのか分からない時間があったり、謎の空白時間があったり。
在宅ワークであったため他のメンバーが今何をしているのか、目で見ることはできずもどかしい日々。
他のメンバーよりも年収が5万高く一つ階級が高いため、自分の業務量が多いのは仕方ないんだ!と言い聞かせ、
メンバーを信じて自分の業務をするしかないという状況でした。
私は徐々にその状況に対して徐々に不満が溜まっていきました。
人間関係が特別悪いということもないし、仕事では高い評価をいただいている。
自分が頑張った分がお給料として目に見えることができたらいいのにな
…そんな風に思っていました。
31歳:現状から変わりたい!という本心に気付く
もやもやするような状況が1年経とうとしたときに、
私はYouTubeで勝友美さんに出会いました。
たまたま関連動画で勝友美さんのYouTubeの動画を見て、一瞬で魅了されました。
勝友美さんは、「ヴィクトリースーツ」と呼ばれているオーダースーツブランド「Re.muse」の代表取締役です。
「100年先まで愛されるブランドを創る」という想いで2013年に会社を立ち上げ、
2018年にミラノコレクションに出展、
2023年には日本のテーラー業界で初となるパリコレクションでの出展を成功させています。
私は、勝友美さんの著書「人は自分に嘘をつく ガマンしないで幸せに生きるための7つの法則」という本を読みました。
Q, あなたは今、何%自分に満足していますか?
A, □□%
本の冒頭に書かれていました。
私は、今の自分にどれくらい満足しているかは、70%くらいです。
70%でも高い方じゃないかな~っと思いながら読み進めていくと、
100%でないとしたら、それは今の自分に対し何か物足りなさを感じている証拠、
残りの30%分、満足できていないことがある。
その30%の部分があなたの人生を苦しめる原因になっている。
そして、100%に達していない部分に本心が隠れている。
と書かれていました。
私は仕事が好きですが、それと同時に自分の仕事についていつも悩んでいました。
友人に仕事について相談する時には、
本当は医療ではなく、デザインだったり美容業界に興味がある。
けど、今よりも収入が下がるかもしれないし、
今の慣れた仕事と人間関係から環境を変えるのが勿体無いし、
30歳を超えて新しいことに挑戦する勇気も出ない。
ぶっちゃけ今の会社員の仕事を続けていても、
自分で美容は楽しめているし、趣味のセルフネイルでも今は十分楽しんでいる。
なんて、つらつらとあーだこーだ言って、
わざわざ今の環境を捨てて収入の不安定な方に行かなくてもいいんじゃないか。
「これくらいでいいや」「仕方がないから」とかって行動していませんでした。
しかし、今の私は30%分、満足していない自分がいるんです。
会社で働くことも自分で決めているし、行動しないということも自分で選んでいましたが、
本心と違う言葉や行動をとることに慣れ過ぎてしまい、
自分で自分の心に嘘をついている事にも気が付かなくなってしまう。
いつの間にか、その嘘が自分の本心だと思い込み、その程度の自分でよくなってしまう。
まさにその通りで、私はやってみたいことから理由を付けて逃げていることで
ずっと、どこか満足していない自分がいることに気付きました。
書籍には「成功の反対は妥協」と書かれています。
何をもって成功なのかは人それぞれ定義は異なるだろうが、
成功とは「幸せ」であることだと思うと書かれていました。
30%分の満足ができていない部分でモヤモヤしながら
ずっと悩んで数年が経っていていました。
このまま今の会社の仕事をしている自分に満足できない人生を送ってたとしても、新しいことに挑戦しなかったとう後悔がいつか来る。
今まで、高校受験から看護師資格取得、カナダへ行って新しいことに挑戦してきました。
全部一生懸命になって頑張ってきたのに、ここで妥協してしまう自分ではなく、
自分の可能性を信じて、新しいことにチャレンジして頑張る自分の方が好きだな!
私のモヤモヤは、無意識に妥協しているからこそ発生していることを気づかせてくれたのです。
結果として達成できなかったとしても、やりたいことを、やりたいという気持ちに素直になり、それに向かって生きている人生の方が楽しい!
この言葉がさらに私の新しい挑戦したいという気持ちの背中を押してくれました。
この本を読んで、自分のこれからどうしていきたいのかという意識が変わり、
いろんな働き方をしている人と、将来のことや仕事のことについて話す機会が増えていきました。
そんな中で、個人事業主や会社を経営して活躍している身近な友人と話をしていると、
仕事に対しての意識や根性、何より自分の仕事に誇りを持って、
やりたいことを貫いていると感じました。
ランウェイモデルとして活躍している友人は、
学生時代からスナップモデルをしたり、雑誌の専属モデルをしていました。
一度、違う業界に就職しましたが、周囲の友人の応援もあって勇気を出してモデル業界に飛び込みました。
一人で上京してモデル事務所に入り約10年、
自分自身のブランディングをして、日本からも海外からもオファーが止みません。
たくさんの広告に起用され世界中で彼女を見かけるほど大活躍しています。
また、アクセサリー作家として活躍している友人は、
自身がうつ病になってしまったことをきっかけに、昔から好きだったアクセサリーを作り始めました。
2018年、X(旧Twitter)の匿名アカウントにフォロワーがたくさん増えたところから、
現在インスタグラムのフォロワー2.3万人、3人の子育てをしながらアクセサリー作家としてPop upに出店したりオンラインでの販売をしています。
そして、2023年に台湾に進出。
台湾でPop upを定期的に開催しており、日本でも半年以上先まで出店が決まっているような人気作家になりました。
二人とも、自分のなりたい像を明確にもち、自分の気持ちに素直に突き進んでいました。
しかし、超人的な友人を横目に、
私は彼女たちが稼ぐ一部を1年で必死に稼いでいるOL。
自分の意志で会社で働いているのに、毎日もやもやしながら業務をこなす。
そんな現状から変わりたい!!!!
本心では私も彼女たちみたいに認められ、個性を活かす仕事で輝きたい!
そしてフリーランスとしてあなたが良い!あなたにお願いしたい!とオファーされるような人間になりたい!
自分の近くで実際に活躍している友人がいて話をしているうちに、そんな風に夢を見るようになりました!
会社員が一番安定!と親から言われ続け、そう思ってきた固定概念から、
自分が頑張った分稼ぐことができるスキルを持ちたい!という気持ちに変わっていきました。
しかし、SNS上では成功した起業家やインフルエンサーに溢れていますが、
起業ブームに乗っていきなり独立しても失敗することは目に見えています。
そのようなことは分かっていますが、
だからこそ私は何から始めて行けばいいのか全く分かりませんでした…
本当に自分で稼いでいくなんてできるのか?なんて、起きてないことに不安ばかり。
私は、趣味のネイルから、一時ネイリストとしてサロンをオープンさせることを視野に入れ、
ネイルスクールに通ったことがありますが、練習を重ねることでスキルは身についても、
やはりビジネスの知識が全くありませんでした。
そんなビジネスのことが全く分からなかった時に、勝友美さんのオンラインサロンに入会することができました。
勝友美さんは「VICTORY SALON ONLINE(ビクトリーサロンオンライン)」というオンラインサロンを運営しています。
毎月、「マインド」「金融リテラシー」そして「Webマーケティング」の話を聞いて学ぶというライブが行われており、私もオンラインサロンに入会しました。
「マーケティング」についての知識もスキルもない私は、そこでWebマーケティングについて講師の話は学ぶことばかり!
素人の私はただただ、広告を出せば集客できる、商品が売れるなんてことを思っていました。
SNSでは、なんだか分からないけど観てしまう投稿や動画。
広告には、続きが読みたくなる漫画広告、無償に買いたくなる化粧品など。
ノウハウを聞いていると、私は完全にSNS上や市場でまんまと転がされています(笑)
そんな、人の考えていることを深く理解して、
うまく惹き込むことができるマーケティングのスキルを習得できたら、
私がフリーランスとして不安に思っていることは解消されるのではないかと思いました!
勝友美さんからは、自分の可能性を信じて、
まずは自分のやれることをやってみることが大切だということに気付かされました。
周りの友人は、フリーランスとして活躍していきたいと思わせてくれるきっかけとなりました。
そして、これから自分は何がしていきたいのか、自分が目標とする未来は、今の山口での自分の生活の中にありました。
地元の友人と共同で、
過疎が進んでいる山口の地元に若者が集まって楽しめる‘場所‘を作ろう!
と、計画が始まったのです。
私は、海、山、川など自然が豊かで、歴史があってちょっと不便な地元山口が大好きです!
しかし、過疎でお店が閉店して街が小さくなっていっている悲しい現状があります。
実際に歴史のある商店街は、半分は閉店しています。
その反面、今は市の管轄で子育て支援が充実してきており、
園児が増えているという現状もあり、若い世代の人口が徐々に増えつつあります。
巷では、2023年、某テレビ番組で、山口県・瀬戸内海にある周防大島が、都会から地方へ移住ブームで、年間100万人近くの観光客が見込まれている街として紹介されました。
そこで、友人は古民家の縁側でコーヒーが飲めるような和モダンなカフェや、
老若男女問わず人気なサウナ施設を作ることを計画しています。
私はそれらの大事なWebマーケティングを担う計画を立てています。
Webマーケティングスキルを学ぶことで、
Web/SNSでの発信力を身につけ、それがたくさんの人に目に留まることができ、
口コミを広げること、そして集客に繋げるスキルを習得したいと思っています。
私は、自分の今までの都会やカナダで生活していた経験から、
まずは田舎の地元に「都会の良いモノ」を取り込んでいく役割をしていくような、
Webフリーランスになることを目標にWebマーケティングを学ぶことを決意しました。
最後に
自分と同じように会社員で頑張って働いていても年収が上がらず、仕事へのモチベーションの上がらない人へ、
私はこのブログを通して、新たな一歩を踏み出す勇気となるような発信をしていきたいと思います。
会社員がゼロからWebマーケティングを学び、フリーランスとなり自分が頑張った分稼ぐことのできるスキルを持つことができるようになる!という成長過程を記録に残していきます。
私のように、会社員という安定したお給料がある生活から独立することに対して不安な方もいらっしゃると思います。
継続は力なり。
私の大好きな言葉です。
今まで看護師になるときも、異国での挑戦も、最後まで諦めずに継続していった先に自信をつけることができました。
ぜひ私の成長過程を読んだ読者のみなさまが、悩みから抜け出せる決断の後押しとなるようにしっかりと発信していきたいと思います。
悩んでいるのは自分だけではないんだと思っていただけたら幸いです。
よければ定期的に私の成長過程をチェックしに来てください!
最後まで読んでいただきたいありがとうございました!